古代ギリシャ遺跡を巡る旅 2018年9月
Delphi
アポロン神殿 |
DAY 2
滞在2日目、バスでカランパカから210Km南へ下りデルフィ遺跡を見学し、そこからアンディリオから橋でペロポネス半島に渡りオリンピックの発祥地オリンピアへ向かいます。
カランバカ ― デルフィ ― オリンピア 506km |
デルフィ
デルフィの町はコリンティアコス湾を望む丘の上にあり、この町のはずれにデルフィ遺跡があります。遺跡を訪れる前にこの町で昼食をとりました。細いメイン道路を挟み土産物や、レストラン、ホテルなどが立ち並んでいます。
デルフィの町 | 昼食をとったレストラン |
デルフィ遺跡
古代ギリシャのポリス時代政治的に重要な役割を果たしていたのがデルフィで、アポロン信仰の中心地でありこの地で巫女による信託がなされていました。各国の政治家や有力者たちが貢物を携えこの地を訪れ重要な決定事項につき巫女の信託を仰いでいたそうで、貢物の宝物庫が多く建てられていました。また、ここでも4年に一度音楽の祭典やオリンピック競技も開催されていました。
まず3D復元映像を見てみましょう。
デルフィCG復元映像(2:21) (出典:You Tube) |
デルフィ遺跡(図説ギリシャより参照) |
遺跡を訪ねる前に遺跡の入口にある考古学博物館で出土品を見てから遺跡に入りました。
遺跡は丘の中腹に点在しており参道を上りながら見学していきます。遺跡の入場口を入り少し丘を上がるとすぐ右側にローマ時代のアゴラ跡が見られます。
ローマ時代に設けられたアゴラ |
アゴラの遺跡を過ぎると今度は左側に基礎部分だけが残っているシフノス人の宝庫跡が見えてきます。この宝庫は当時金銀鉱山で繁栄していたシフノス島の人々が紀元前512年に奉納したギリシャで最初にすべて大理石で作られた建物といわれています。この建物の破風や出土品は博物館に展示されています。
シフノス人の宝庫跡の破風レリーフ |
シフノス人の宝庫跡 | シフノス人の宝庫跡想像図 | シフノス人の宝庫前の像 |
シフノス人の宝物庫を過ぎると道は右に大きく折れ左側には、紀元前490年にマラトンの戦いの勝利に感謝した建てられたアテネ人の宝庫が復元されて建っています。
アテネ人の宝庫復元図 | アテネ人の宝庫 | 宝庫裏から発掘された像 |
さらに上っていくと左側にナクソス陣が奉納したスフィンクス像が建っていた基礎、それに続きサラミス海戦で勝利して得た戦利品を収蔵した収蔵館跡があります。
この付近にあったナクソスのスフィンクス |
下の列柱:アテネ人がサラミス開戦(BC408)で勝利した戦利品の収蔵館跡 上の列柱:アポロン神殿跡 |
さらに進み左に折れ丘を登ると大きな神殿跡が現れます。ここにはアポロンの神殿があり中にはアポロン像が、前室の地下では数々の神託がなされていました。神殿付近には様々な記念碑や像が置かれていました。神殿前にはプラタリアイの戦いに戦勝した記念碑(部分複製)あります。神殿から発見されたニケ像や神殿付近から発見された踊る少女像、青銅製の御者像などは博物館に展示されています。
アポロンの神殿(正面)跡と復元図 |
アポロンの神殿前にあるプラタリアイ戦勝記念碑 | 神殿から発見された ニケ像 |
踊る少女像 | 青銅の御者像 |
神殿を過ぎると裏手に収容人数5000人の劇場があります。アポロンの神殿と同時期紀元前4世紀ごろに作られたもので丘の傾斜を利用して作られています。
劇場 |
劇場を右に回り込んで劇場上に出ると遺跡全体が見渡せます。また遠くに今回は訪れることができなかったアテナ・プロナイア神域が広がっています。そこには円形のアテナ神殿がありましたが現在では一部が残っています。
劇場 |
アテナ・プロナイア神域にあるアテナ神殿跡 |
さらにつずら折の道を登っていくとそこに競技場があります。トラックの長さは178m幅は23mで、ここでヒュティア祭スポーツの競技が行われていました。収容人数は7000人と推定されています。
競技場 |
デルフィの遺跡を見学後、バスで本日の目的地オリンピアに向かいました。コリンティアコス湾に沿ってアンティリオまで行き、そこで ハリラオス・トリクピス橋を対岸のパトラ渡ります。
デルフィの町からコリンティアコス湾を望む | 対岸ペロポネス半島に点在する風力発電所 |
ハリラオス・トリクピス橋を渡りペロポネス半島へ |
パトラから2時間ほどでオリンピアに到着。ホテルで夕食後街をぶらぶら。 貴金属装飾の店やはちみつなどを売る食料品店が並んでいます。
ここで地元でとれた蜂蜜を購入し本日の旅程を終えました。明日はオリンピア遺跡を見学後アテネに向かいます。NEXTをクリックしてください。