古代ギリシャ遺跡を巡る旅 2018年9月
Meteora

 メテオラ アキア・トリア修道院  左に見えるロープウエイを使い物資を運ぶ

DAY 1

滞在1日目。早朝イスタンブールに到着。ここから7:25分発TK1881でテッサロニキへ1時間20分ほどのフライトでした。

まもなくイスタンブールに到着 イスタンブール空港ギリシャ便待ち

イスタンブール離陸

テッサロニキ
テッサロニキはギリシャ第二の都市。(ギリシャ人口は1080万人、テッサロィニはアテネ360万人に次ぎ2番目の100万人)
ここは紀元前315年ギリシャの一都市国家であったマケドニアにより作られた町で、町の中にはアレキサンドロス大王の像とその父フィリッポス2世により考案された6メートルにも及ぶ長槍(運ぶときは半分にたたむことができた)が公園に飾られています。この槍を装備したマケドニア歩兵部隊については前述の塩野著「ギリシャ人の物語」で知識を仕入れていましたが、現実にその長さを見て「よくもこんな長い槍を使いこなせたものだ」とびっくり。アレキサンドロス大王はこの歩兵部隊を駆使して東征を行い、10年かけてインダス川の手前まで戦いを進めましたが、病に倒れてしまい二度と祖国を見ることはありませんでした。彼は出征するとき内政を腹心の部下に委ねるのですが、10年間も国内を取りまとめ帰ってこない大王の求めに応じ、軍費と軍隊を含めた人材を送り出してきた留守居役の政治力の凄さを感じます。
昼食後メテオラへ。

アレキサンドロス大王像 マケドニア重装歩兵部隊の長槍

   
 運搬時は半分に(出典:塩野七生「ギリシャ人の物語」)  マケドニア重装歩兵部隊(出典:塩野七生「ギリシャ人の物語」)

メテオラ
メテオラにはカンパランカという町の郊外に広がる奇岩群を利用してその頂に建てられた多くの修道院があります。20世紀初頭までは岩山に上る階段もなく、下から滑車につるされた網袋で物資を運んでいたそうです。今でも岩と岩の間にロープを通し、かごで物資を運ぶ風景も見られます。これら修道院の起源は9世紀ごろといわれ、下界との生活を断ちひたすら信仰の道を求めた修道士達が集まって徐々に修道院が建てられていったとされています。

メテオラの修道院群 



 メテオラ奇岩群

カランパカ
メテオラから山を下りてくるとそこにカランパカの町が広がっています。今日はこの町に宿泊します

メテオラ修道院群

カランバカの町より岩山山上の修道院を望む

 
 テッサロニキ ― メテオラ ― カンパランカ 240km


 

2日目はデルフィ遺跡を経てオリンピアに向かいます。 NEXTをクリックしてください。